2004年4月30日金曜日

〔再録〕永井荷風の終焉の家の今、門だけは当時のまま


永井荷風の終焉の家の今、門だけは当時のまま



昭和34年4月30日未明、永 井荷風が亡くなる。大正7年から延々と書き続けてきた日記『断腸亭日乗』の最後の記載は:
四月二十九日。祭日。陰。
というもの。これを書いて、あとしばらくして食べたものを吐いて窒息死した。胃潰瘍だった。翌朝やって来た家政婦が遺体を発見。


その後の展開は有名なものだ。 佐藤春夫が葬式の様を詳しく書いているし、半藤一利も目撃談を詳しく週刊文春の記事に書いた。永井荷風のような大作家が、ひとりで誰にも看取られず、犬猫 のように陋屋で死んでしまったと言うことで、社会に大ショックを与えた。何という惨めな死に方だ、というのだ。

当時の社会風土からすればそういうことかも知れない が、平成の世になってみれば、誰の迷惑もかけず、ひとりで最後まで生きて死んだ、何かまるで大往生のように見えるから、世の中たしかに変わった。もう二十 年もするとこういう最期が一番望ましいと、誰もが考えるようになるのではないか。老人介護や介護保険の在り方も、あまり現在の考え方を基準にして設計しな い方がいいのかも知れない。誰もがグループホームみたいなところで和気あいあいとするのを望むとは限らないのである。

ところで荷風の終焉の家だが、いま荷風の養子さんが住 んでおられるが、また改築されたようで外観がかなり変わった。でも門だけは昔通り残っている。荷風は毎日引き開けた門である。先月市川に行った際に写真を 撮ってきたのでご紹介:


Posted: Fri - April 30, 2004 at 06:42 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (15)

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